最近日本企業の間で「ミッション」と「ビジョン」という言葉がよく議論されている。いま日本企業は自らの方向性をはっきりと定義し、社員たちを新しい方向性のもとにもう一度結集する必要に迫られており、その新しい方向性を記述するために「ミッション」「ビジョン」というはやり言葉を採用しているようだ。
しかし日本企業がこの種の西洋的なマネージメント手法に関係するはやり言葉を輸入するたびに、その正確な意味を理解し損ねているということを認めなければならない。したがってこのエッセーでは少なくとも「ミッション」と「ビジョン」の意味については定義をはっきりさせたいと思う。
「ミッション」とは存在理由のことであり、「ビジョン」とは望ましい将来の姿のことだ。もし概念の上下関係を云々するなら、「ミッション」は明確に「ビジョン」よりも上にくる。
この定義が正しいことはインターネット上の情報源で確認できる。例えばメルボルン大学の経営学部のWebサイトにある「戦略的経営の定義」というプレゼンテーション資料の17頁「ミッションの定義」には「ミッションとは企業の存在にとっての目的あるいは理由のこと。その指し示す範囲は狭い場合も広い場合もある」と書かれている。
次にカナダ公認会計士協会のWebサイトにあるこの資料の15頁には「ミッション」の定義として「特定の職業が奉仕すべきニーズ、核となる技能、その職業を規定する基盤となる価値観などを完結に記述したもの。つまり、その職業が競争力を発揮すべく選択した領域や、その職業がその領域で成功できるようにする特質」とある。また、その職業の中核となる技能と顧客のニーズ、価値観が「ミッション」を構成するといった図もある。
この資料については「ビジョン」の定義を読めば、「ミッション」との違いがよくわかる。16頁で「ビジョン」は「ミッションで定義された競争領域で、その職業が将来あるべき状態を記述したもの」と定義されている。「ビジョン」が将来像であり、「ミッション」はその将来像を記述する前提となるものであることがわかる。
3つめの事例は北フロリダ大学が開設している「マーケティングの枠組み」というWebサイトに掲載されている、そのものずばり「ビジョンとミッション」という資料である。この資料にはさまざまな人物の定義が引用されているので、ここに孫引きしてみる。まず「ミッション」について、バートという人物は「ある組織特有の永続的な目標を明確に記述した公式の文書」と定義し、さらに「なぜわれわれは存在するのか?われわれの目的は何か?われわれは何を達成したいのか?といった質問に答える記述である」としているようだ。
ドローハンという人物は「ミッション」を「ある協会の存在理由、協会のアイデンティティーを表わし、目的と焦点、方向性を明文化したもの」と定義しているらしい。そしてかの有名なコトラーは、よくできたミッション・ステートメントの特徴を3つあげているらしいが、これはミッションを書き下すときの技術論なのでここでは触れない。
これらの見解をまとめて、この資料では「ミッション」とは事業の目的、競争力の基盤、主な競争分野を定義し、企業の主要目標、価値の定義も含んだ記述であるとしている。あまりよいまとめとは言えないが、資料の質の低さはご愛嬌である。
また同じ資料は「ビジョン」についても「ミッション」との対比で次のように書いている。「ミッション・ステートメントが目的と価値を、期間を限らず明文化したものであるのに対して、ビジョンは将来的の一時点を指し示しており、その時点で一定の目標が達成される」。そして先のバートという人物は「ビジョン」は「感情的に追求される最終目標を表現している」としている。ズッカーマンとコイルという人物は、「ビジョン」とは「組織が次の5〜10年間にわたる意思決定を行うための方位磁石」であるとし、「事業を行う領域を定義し、顧客との関係を規定し、企業の戦略的な方向性を詳細化するものである」と書いているようだ。
「ミッション」と同様、この資料ではさまざまな見解をまとめて「ビジョン」については次のように書いている。「ビジョンとは組織の長期的な目標を記述したものであり、組織全般に心の底からの感情とインスピレーションをかき立て、未来を有意義な現実にすべく全員が鼓舞されるような共通の自己了解と挑戦目標を作り出すものである」。
最後にこの資料は「ミッション」と「ビジョン」を対比して、次のようにまとめている。「ビジョンが長期目標(5〜10年、またはそれ以上)を指し示す記述であるのに対して、ミッションは時間の限定がない」「ビジョンが『われわれはどこへ向かっているのか?』という問いに答えるのに対して、ミッションは『われわれは何故ここにいるのか?』という問いに答える」「ビジョンは現実化され、現実化されたら再び定義しなおす必要があるが、ミッションは永久に達成できない」
4つめの事例として、「ミッション」の語源にもっとも近いものを挙げておこう。容易に想像がつくように、キリスト教関係のWebサイトである。英国国教会コネチカット司教区のWebサイトのこの頁は「ミッションとは何か?」という題名の文章が掲載されている。
長々と引用する気はないので、要点だけを引用すると、「ミッション」とは「彼(=キリスト)がそうしたように、人々のいるところへ送られるということである」。
もっとも語源に近い事例をあげたところで、ダメ押しをする意味で「ミッション」と「ビジョン」それぞれの語源について確認しておこう。「ミッション」はラテン語の動詞mittereから来ている。この動詞は「送る」という意味で、その名詞、missionとは「送ること」である。上記の4つめの事例にまさにそう書いてあるように、「ミッション」とは「われわれが何故ここに送られてあるのか」ということ、つまりは存在理由、レゾンデートルのことである。
ラテン語を知らずとも、よく似た英単語、たとえばsubmission、admission、emissionなどから、missionという言葉が何かを送ること、別の場所へ置くことに関係しており、「見る」こととはまったく無関係であることぐらいは推測がつくだろう。
それに対して「ビジョン」とはラテン語の動詞videreから来ている。この動詞は「見る」という意味で、一人称単数現在はvideo、つまりビデオのことだ。「ビジョン」とはわれわれが見たり眺めたりすることから、視力や、見る対象も意味するようになった。したがって「ミッション」と対比した場合の「ビジョン」とは、われわれが見る像のこと、この際、長期的か中期的かはどうでもよいとして、将来像のことである。「ビジョン」についてもラテン語を知らずとも、それが「見る」ことに深く関係していることぐらいは予想できるだろう。
以上のように、インターネット上の情報源を当たるまでもなく、実は「ミッション」と「ビジョン」という言葉そのものの語源をさぐるだけで、前者が存在理由であり、後者が将来像であることは簡単に推測できる。国際的に活躍する社会人としての最低限の教養を持ち合わせている会社員、つまり学生時代に少しでもラテン語に触れたことのある会社員であれば、「ビジョンとは存在理由である」などというとんでもない間違いは確実に指摘できる、はずである。
それでも「ビジョンとは存在理由である」と主張する人がいるとすれば、それは単なる屁理屈だとしか言いようがない。